流薔園

「物事を遠くへ押しやる時、一切はロマン的になる」(シュレーゲル)

映画『ローザ・ルクセンブルク』短評

友人に誘われ、久方ぶりに映画鑑賞をした。演目はマルガレーテ・フォン・トロッタ監督の『ローザ・ルクセンブルク』。19世紀末から第一次大戦にかけて活動した女性革命家のローザ・ルクセンブルクの伝記映画である。社会主義運動の草創期や敗戦と革命に揺れるベルリンの混迷がどう描かれているかを期待して見た。

ロシア革命を受け、反逆の炎をポーランドに広げようとワルシャワで活動していたローザが政治犯として投獄されるシーンから物語は始まる。女学生あがりの、澄んだ瞳に理想社会への意志と社会悪への闘志を秘めた純情な革命家。同志と恋に落ち、所属するドイツ社会民主党消極的態度に憤りを覚える彼女の姿は、若さそのものの現れだった。劇中の台詞である「19世紀は希望の世紀だった。20世紀は、その実現の世紀となる!」は、若々しいローザの姿を表現した言葉でもある。生誕したばかりの社会主義運動、情熱の実現であるロシア革命、躍進を続けるドイツ社会民主党。ローザが若々しいのと同時に、世界そのものも青春のただなかにあった。しかし、甘美な青春期は永続しない。ローザの無垢さに影が差し、そして世界にも翳りが見えてくる。同志との恋愛の挫折、戦争へと傾斜していくドイツそしてヨーロッパの現状に対して無力でしかありえない党への幻滅。ローザはドイツ社会民主党への失望から、より過激な路線を標榜し、スパルタクス団そしてドイツ共産党を結成するに至る。ふたたび投獄されるローザだったが、レーテによるドイツ革命の勃発と敗戦によって釈放される。かつての同志であるドイツ社会民主党が新政府を樹立するなか、それに満足しないローザは真の革命を目指し活動するが、ドイツ共産党の議会選での敗北を契機として、労働者を中心とする革命軍による武装蜂起が起こる。銃声と硝煙に包まれるベルリン。しかし、それはもう若々しさに祝福された青春期を回復させはしない。旧秩序を破壊し尽くした第一次大戦の暴力と動乱は、彼らの理想と無垢さも喪失させていた。同志であるリープクネヒトに「あなたは皺が増えたようだ」と話しかけるローザ、「われわれももう若くはない」と応えるリープクネヒト。若々しさの廃墟に残されるのは、解けることのなき呪いのような革命への固執でしかない。革命は鎮圧され、ローザはフライコール(反革命義勇軍)に捕まり、虐殺される。銃床で殴りつけられ、頭を撃ち抜かれ、運河に投げ落とされるローザ。あまりにもあっけない、青春の終焉。甘美な夢が、単なる夢でしかないことを知る、残酷な瞬間。ローザがあっけなく殺されてお仕舞いという結末の描写の素っ気なさと残酷さが、このローザ・ルクセンブルクという革命家の生涯の本質を物語っている気がした。若々しさの喪失は受け入れるべき当然のことがらなのであり、夢から醒める瞬間はいつも突然なのだから。若さを無くしつつあるローザは時代から取り残されるしかなく、滅び去るしかなかったのだ。

  若々しい革命の熱情、そしてその喪失と敗北として描かれたローザの物語、それを彩る美しい映像と情熱的な演技。非常に良質な、印象に残る映画だった。