流薔園

「物事を遠くへ押しやる時、一切はロマン的になる」(シュレーゲル)

ジョルジュ・バタイユ『呪われた部分―普遍経済学の試み』

f:id:hakagiminori:20121222002449j:plain   

 「至高性」や「エロティシズム」、「蕩尽」を根源的な主題として、近代の主知主義・生産を基底とする世界像を批判、政治学・経済学・人類学・宗教・文学・哲学・芸術などの多岐に渡る領域で執筆活動を展開し、独自の思想世界を構築したジョルジュ・バタイユ。今回取り上げるのは、『呪われた部分』という総称の元に包括される社会科学的著作群の劈頭を飾る、一連の著作群の総称と同じ題名を冠する『呪われた部分―普遍経済学の試み』である。晩年のバタイユは思想的総決算として自身の著作活動を三つの著作群に纏めようと構想していて、第一に「聖なる神」の主題のもとに統合される文学作品群(『マダム・エトワルダ』『わが母』『シャルロット・ダンジェルヴィル』)、第二に『無神学大全』三部作(『内的体験』『有罪者』『ニーチェ論』)、そして第三が『呪われた部分』の総題の元に展開された一連の社会科学的作品群である。バタイユと言えばおそらく多くの人々が連想するところの文学作品や、論理的整合性を欠いた断片的な作品、語ることが困難な「神秘的体験」を綴った『無神学大全』などと共に彼の多様な側面の一つを代表する作品が本作なのであり、透徹した論理性・明晰性を特徴とするこの作品は、『無神学大全』などが内在的に「体験」を語ろうと試みるのに対し、外在的に、歴史的に「体験」に接近する試みとして理解することができる。生産・蓄積・再生産を見越した有効な消費というサイクルを基調とする従来の偏狭な経済観を批判し、非生産的消費である「蕩尽」を鍵概念として世界的視野を有する「普遍経済」の概念の提起を図る。そしてこの「普遍経済」とはエネルギーの過剰がもたらす沸騰運動として位置付けられており、人間と世界を規定する構造そのものとしての「普遍経済」の探究こそが本書の核心をなす企てなのだ。

 「普遍経済」についての説明に入る前に、バタイユの生涯の素描と『呪われた部分』及び『呪われた部分』で展開された「濫費」「普遍経済」「エネルギー」といった諸概念が彼の思想遍歴のなかでどのような布置を取るかを確認しておきたいと思う。ジョルジュ・バタイユ1897年に中央フランスで生を享けた。青年期はキリスト教に傾倒し、神学校に学ぶ。その後はグランゼコールの一つである国立古文書学校に進学するが、徐々に信仰に揺らぎが生じ始る。国立古文書学校を卒業後にパリ国立図書館司書の職に就き、ニーチェを耽読するようになって、バタイユは遂に信仰を棄てるに至った。また、この頃からレフ・シェストフと交際するようになり、シェストフからの影響でドストエフスキーキルケゴールを読むようになる。1924年にアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』が出版され、シュルレアリスムは若い文学者・芸術家を中心に大きな反響を起こすが、バタイユは当初からシュルレアリスムに距離を置いていた。バタイユが『ドキュマン』誌を主宰するようになってからは、同誌に掲載されたバタイユの論文をブルトンが攻撃し、それに対してバタイユが応酬するという形で激しい論争が起こるようになる。1931年に『ドキュマン』誌が廃刊すると、バタイユマルクス主義的な『社会批評』誌に参加、同誌の関係者が中心となった「民主的共産主義者サークル」のメンバーにもなり共産主義への接近の姿勢を鮮明にした。バタイユはこの時期に『呪われた部分』の原型となる「消費の概念」や、ファシズムの原理の解明を目指した「ファシズムの心理構造」等の重要な論文を『社会批評』誌に発表している。「ファシズムの心理構造」は社会を形成していた「同質性」が崩壊する現代、「紛い物の至高性」が登場し、人々を同質性に再び纏め上げようとする運動こそがファシズムであると論じ、ここからバタイユの中心的な課題は「共同体」へ、人々はどのように社会へと編成されていくのかという問いへと展開していく。また、1934年にはコジェーヴヘーゲル講義を受講し大きな影響を受けた。1935年には反ファシズムを旗印にそれまで反目していたブルトンシュルレアリストと和解し、共に革命的知識人の同盟である「コントル・アタック」を結成するが、この組織はすぐに瓦解することになる。この失敗の経験が、改めて「共同体」の問題をバタイユに問うことになり、やがてバタイユは理想の共同体を求め、少数の友人によるコミュニティを結成する。それが「アセファル」あるいは「社会学研究会」である。バタイユは「紛い物の至高性」によって同質性を維持しようとする左右のファシズムを脱却しうる共同体を模索しようとしたのだ。しかし、アセファルも結局は挫折してしまう。バタイユは共同体の問題も包括しうるプロブレマティークとして、個/内面の体験の探究に沈潜していく。そこで生まれたのが『内的体験』や『有罪者』といった作品群であり、そこでは神秘体験が断想の形をとって記述され、語ることが困難な経験がそれでも語ろうと試みられている。これは同時に、進歩的知識人から神秘家へのバタイユ自身の相貌の変化も示していた。こうして神秘体験へと向かったバタイユの思考であったが、その後また異なった展開を見せることになる。バタイユは戦後になって『クリティック』誌を主宰し、「消費の概念」で展開された概念を発展・洗練させた『呪われた部分』という総題で包括される一連の著作群を試みる。それは共同体、そして内的体験と変遷してきたバタイユの思考の総決算、到達点であった。人間の主体的な意志と能力から成立する「生産」の系と対立する「蕩尽」の概念は、自分を「人間」へと作り直し、自然を否定し労働によって自然そのものをひとつの目的へと屈服させるようになった人類にとっては隠された欲望であり、自然的な欲望なのだ。「作る」のでも「増やす」のでも「貯蔵する」でもない、「蕩尽」の欲望の解明とは、自然なる総体としての人間の復権を射程に収めた『呪われた部分』の核心をなす主題であったのだ。

 では、本題である『呪われた部分』の論旨を見て行きたい。まずは、「エネルギー流動」と「過剰さ」について取り上げたいと思う。バタイユの試みる「経済学」は金銭や商品のみを対象とした従来の偏狭なエコノミクスではない、バタイユが対象とするのは生命そして生命が組み上げる自然/文明をすべて包括しうる、エネルギーの経済学である。この世界が展開するための機構と機構を稼働させる燃料とをすべて対象とする超域的な経済学なのだ。そして、地球上のエネルギーの根源は、太陽から放射される熱である。この熱は、補給や見返り無しに地球に与えられる。この熱は循環したり、回収されることがない、この熱の本質は「過剰なるもの」である。他方、熱は生命体を生み出す。生命体がこの熱によって産み出されるなら、生命体の本質は「過剰」である。本質としてのこの「過剰」をどう処理すべきかというのがバタイユの問題意識の所在する場所なのだ。バタイユはこの莫大なエネルギーを放つ太陽というイメージを文学作品で幾度も描写している。第一に「イエスヴィァス山」で描かれた噴火のイメージであり、「太陽肛門」ではそれは肛門における排泄作用として描かれる。「過剰が吹き出す」というイメージが、太陽と肛門を重ね合わせるのだ。しかし、猿が人間になるプロセスにおいて、彼は肛門を足の狭間へと隠してしまう。では、エネルギーの過剰は何処へ向かうのか?それは元々存在した太陽を目指し、身体の上部へと向かい、太陽を見るためだけに眼球を作り出す。それが「眼球譚」のイメージなのだ。つまり、過剰なエネルギーは何処へ向かうのか、それがバタイユの第一義的な主題なのだ。そして、この問いにバタイユはこう答える。過剰である限りは、それは過剰なまま浪費されなければならない。つまりそれは有効性に還元されることなく、無意味に使われ、喪われなければない、と。

 次は、この「浪費」あるいは「蕩尽」について述べていきたい。果たして現代において「蕩尽」は行なわれているのか、あるいは「蕩尽」とは可能なのか、ということを。

 近代資本主義社会は、「等価なものの交換」しか知らない。現代においては貨幣という共通の尺度を設定し、その体系に従い商品に価格を付け、貨幣と等価な商品を交換することで商品経済は成立している。また、古代の人々が行なった交換も自分に欠けたもの、必要なものを他者から受け取り、その代わりに相手に自分の物を与えたのだと我々は想像する。そこでもやはり、価値の釣り合いが双方の合意に含まれ、等価交換として当時の交換様式は捉えられる。しかし、原初の人間はその意識はなかった。それは「結果として物と物を交換したかのように見えた」だけである。原始社会の「交換」は、「有用性」つまり効用と切り離されているのだ。では、古代の交換は何と深く結びついていたか?古代社会においては、狩猟や農耕で獲得された収穫物は、むろん自分たちで消費もしたが、まずは「初物」として神に供儀された。それは消費することが「何か役立つ」と見越された上での消費ではない。消費それ自体の中に、究極的な目的が蔵されているのだ。この消費は「非生産的」な消費として見える。これこそが「蕩尽」なのだ。そして、既存の経済学はこの「蕩尽」を考察することがなかった。バタイユは、エネルギー消費の働きは、二つの部分に弁別されるとする。第一の部分はなにかに還元可能なものであって、一定の社会に属する諸個人が、生命を存続させ、生産活動を持続させるのに必要な最小限に生産物を使用するという働きだ。第二は、非生産的な消費である。即ち、奢侈、供儀、葬儀、戦争、祭礼、見世物、倒錯的性行為、そして後で述べる贈与慣例「ポトラッチ」などである。バタイユは生産と生産的消費のみに着目してきた従来の経済学を「限定経済学」とし、自身が計画する生産活動と生産的消費活動に加えて非生産的消費活動即ち「蕩尽」を含んだ経済学を「普遍経済学」と位置付ける。

 古代の代表的な消費の在りようである「交換」は、非生産的な消費にカテゴライズされる消費であり、「普遍経済学」でしか解明できない交換様式だった。それは何かを獲得し、所有することを目指したのではなく、「自分が所有する富を手放す」という濫費的色彩が濃いのだ。マルセル・モースの『贈与論』によると、贈与とそれへの返礼の慣行が、やがて「交換」へと発展したという。これは贈与が相手に負債感(負い目)を与え、その贈与を更に超える返礼を行なうことが繰り替えされたためだ。

 バタイユは、これを真の贈与と見ない。贈与と返礼のシステムからは、贈与―返礼の繰り返しによってやがては自分が贈った品が自分の元に付加価値と共に戻ってくるという「領有化」という「生産的目論み」へと転化していくのだ。この「見せかけの贈与」に対して、真の贈与としてバタイユは「ポトラッチ」を例に取る。ポトラッチにおいては相手の目の前で自身が所有する富をこれ見よがしに破壊するのだが、これこそが、消失そのものを目的とする消費、濫費であるという。

 しかし、ポトラッチによっても、生産的効果は得られてしまう。それは剛胆さや勇気を意味し、行なった人物のコミュニティでの評価を高めてしまうのだ。そして、供儀や戦争などの一見無意味な蕩尽に見える営為も、共同体の結束や宗教的権威の確立など、生産的効果へと結びついてしまう。つまり、バタイユは蕩尽はあらかじめ不可能であるとする。最も無意味なポトラッチですら、意味と生産と過剰とを産み出してしまう。

 『呪われた部分』では、イスラム社会とチベット社会の歴史を辿り、戦争を「蕩尽」の主たる方法としたイスラム、宗教的儀礼を「蕩尽」の主たる方法としたチベット双方の文明の在りようが描写されている。不完全ながらも独自の「蕩尽」を行なってきた二文化圏の素描ののち、バタイユの筆は欧州の歴史へと向かう。

 ヨーロッパ社会においても、中世までは過剰分はチベット社会と同様に宗教的実践に、つまり大聖堂の建設、豪奢な典礼、僧院の運営維持などに費やされていた。しかし、近代に至るとそれは諸生産設備の拡充へと向けられるようになる。本来は非生産的消費へと向けられねばならないエネルギー、本来は生産とは真っ向から対立するはずのエネルギーを、180度転換させて生産へと振り向けたのである。この転換こそが資本主義であり、中世を近代へと変容させたのだ。そして、結果起こったのは生産力の爆発的な飛躍であった。そして、バタイユマックス・ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を引用しながら、その契機となったのは宗教改革であると述べる。それまで、信仰とは人間と神の結びつきの中で営まれてきた。しかし、ルターは信仰を支えていた人と神との媒介を破壊した。世界の展開と人間への評決を全て神の主意に還元し、祈るという営為を孤独な個的人間へと閉塞させたのだ。免罪符や壮麗な聖堂の建造、豪奢な典礼の開催は神と人との繋がりが意識上で想定されていたからこそ可能な「蕩尽」であった。ルターの教義体系は教会にも打撃を与え、伝統的な宗教的共同性を瓦解させた。また、「蕩尽」によって約束されていた「神秘体験」即ち「神の経験」も剥奪されることになった。そして、財産は生産的意味しか有しなくなった。ルターが信仰の定義を「蕩尽」から「生産」へと180度転換させたためである。そして、かつて至高性と結びついていた「蕩尽」は、新たな信仰体系である「生産」に背反するがゆえに、「呪われる」こととなるのだ。神の体験は、そして蕩尽は現代における「呪われた部分」なのである。

 

「生産」を語った思想家はウェーバーをはじめ幾人もいる。その裏で、「放蕩」「蕩尽」について筆を執った思想家と言えば、ゾンバルトホイジンガ、そして他ならぬジョルジュ・バタイユくらいのものなのだ。生産というプロブレマティークに支配され、神的体験が掃討されてしまった現代において、「放蕩」「蕩尽」を語る意義をわれわれはどう見出すべきなのか?