流薔園

「物事を遠くへ押しやる時、一切はロマン的になる」(シュレーゲル)

ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会―情報資本主義批判』

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 状況主義を掲げ、状況派(シチュアシオニスト・インタナショナル)を率い芸術・文化・社会・政治への統一的批判を行なったギー・ドゥボールの理論的主著。大量消費社会の到来によりすべてが「商品」を基調とする価値システムに支配されるようになり、マスメディアの台頭によってすべての現実性が「見世物(スペクタクル)」のイメージの内部にしか存在を許されなくなったこの時代状況に対する先駆的なコンテスタシオン(異議申し立て)である。本書は、刊行直後に起こったパリ五月革命を予見し、学生・労働者の抵抗運動に対して鮮烈な理論を提示した書物として注目され、現在においても高度資本主義社会への根源的な批判として命脈を保ち続けている。

 221の断片的なテーゼによって構成され、資本・商品・歴史・都市・文化・イデオロギーなどを対象にしたそれぞれの短い散文はやがて現代社会を支配する「スペクタクル」という現象の原像を紡ぎ出していく。「スペクタクル」とは、見世物・ベストショット・光景など多様な意味を内包した語であるが、「スペクタクル」とは現代社会の様々な領域で展開される疎外-抽象化による支配の形式を意味している。

 資本主義の進展を辿ると、物品の価値システムが使用価値から交換価値への転化、近代的な意義での「商品」の誕生が契機として存在すると判る。今日的な価値システムは使用という具体的価値から交換という抽象的価値への飛躍、「抽象化」の過程を経て進展して来た。そして、この「抽象化」は価値システムの拡大と自律化を引き起こし、価値システムは人間の現実性から乖離し、人間を逆説的に支配するようになる。K・マルクスの物象化論(人間関係が事物、すなわち貨幣や商品間の関係として出現するという概念)やG・ルカーチ疎外論(人間から乖離した物象間の関係が人間を支配するようになるという概念)によってこのような指摘はなされてきたが、ドゥボールの議論はこれらの従来の資本主義批判から軽やかに飛翔する。

 高度資本主義の現代的展開において、「抽象化」すなわちイメージによる代理・表象のシステムが更に徹底化されたため、従来の疎外論・物象化論による資本主義の読解や批判が困難になった。現代の大量消費社会においては「表象」がその指示対象である「物象」から独立し、かつての資本主義の「商品」の流通回路とは異なる「情報」・「イメージ」のみで成立しうる流通回路が出現したのだ。ドゥボールの理論はこの新たなる表象システムに対する実践的批判を可能にする理論として構想された。本書の副題にある「情報資本主義」とは、「商品」ではなく「イメージ」で構成された価値システムを基礎とする新たな資本主義を指す。これはJ・ボードリヤールの思想圏とも重なり合う問題意識であるが、実践の価値への評価が彼らを分かつ。ポストモダン的な全方位への相対化の手斧を振るうボードリヤールに対し、ドゥボールはあくまでスペクタクルを打破しうる実践の模索を続けてゆく。

 スペクタクルとは、この表象-代理が繰り広げる支配を象徴するイメージだ。スペクタクルとは、イメージで織り上げられた自身と、それを眺める観客で構成されたシステムであり現象である。映画館の暗がりでも、劇場の喧噪でも、大道芸で賑わう大通りでもいいがおのおのの「スペクタクル」を想像して欲しい。その本質は「受動性」と「非現実性」だ。高度資本主義・大量消費社会を支配してきた抽象化のシステムがいかに人間を「疎外」するかがスペクタクル概念では説明される。

 場を支配するのはスペクタクル(見世物・光景・見せ場)であり、観客はそれを眺めることしか許されない。スペクタクルの以前では人間は受動性を強いられる。また、スペクタクルは手に汗握る映画であったり、絢爛たる歌劇であったり、思わずため息が出るような精妙な技巧を誇る大道芸であったりする。これらは非現実のイメージであり、現実性を隠蔽するための表象なのだ。

 完全な受動性を強いられ、イメージの装飾の中で支配構造の隠蔽が行なわれる。この劇場での「欺瞞」をドゥボールは高度資本主義・大量消費社会の究極的統治形態であると説く。「受動性」と「幻想性」で織りなされた「スペクタクル」の支配が全領域的に展開しているのが現代世界である。ドゥボールはこの表象ー代理の制度の、飾り立てられ、真実の有機的全体性を喪失した現代人の生について分析と、それへの抵抗の模索を試みる。

 ドゥボールは現代資本主義の本質を「受動性」と「外観」であると看破した。状況派の都市計画から思想表現としての「落書き」に至る実践は1972年のシチュアシオニスト・インタナショナルの解散によって終焉したが、現在でも大量消費社会は拡大と変容を続けている。実践に希望を見出し続けたドゥボールとシチュアシオニスト・インタナショナルの思想は現代においても価値を保ち続けている。